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ええやん! 交野

認知症の夫を支えた奥様の講演会2011/07/07

織姫ねっと市民リポーターがお届けする交野市のイ・ベ・ン・ト!

こんにちは織姫ねっと市民リポーターのネネです。平成23年7月2日(土)ゆうゆうセンターにて交野市介護支援専門員協会が主催する特別講演会が行われました。
講師の越智須美子氏を招いて、若年性認知症になったご主人の16年間の介護生活を語っていただきました。先が見えず、その日その日を懸命に生きてこられました。
越智先生が福岡市から交野市に来て下さった時間が1分でも無駄にならないように、しっかり講演を聞いて、皆さんに伝えたいという思いで取材をしてきました。
講師の越智須美子氏
講師の越智須美子氏

夫・越智俊二さん、妻・越智須美子さんとは

ともに福岡県出身。俊二さんは高校教員の厳格な父親のもとで育てられ、頑張りやで几帳面でまじめ。そしてとても温和な性格です。須美子さんは着飾ることなく、よく笑う明るい性格。そんな2人がお見合いで出会い、1977年に結婚、3人の娘さんに恵まれました。俊二さんは娘たちを可愛がるとてもいい父親でした。一方、仕事はサラリーマンで20年以上ずっと営業職。付き合いも多く、帰りはいつも午前様という仕事に追われる日々が続きます。

俊二さんの物忘れが始まる

俊二さんに最初の異変がおこったのは、営業職から現場へと配転になった1993年。47才の時です。
会社や現場までの道に迷う。「何で俺だけ覚えられんとやろか」とよく言うようになりました。
毎晩毎晩、夫婦で夜遅くまで道順を確認する作業を、会社を辞めるまで続けていました。
物忘れから仕事の手順を間違え、会社や取引先とトラブルが絶えなくなりました。悩んで悩んで、52才で会社を辞める決心をしたのです。
しかし、念願のマイホームを手にいれて半年。住宅ローンは20年。末子の三女はまだ中学1年です。
全ての負担が須美子さんにのしかかってきた瞬間でもありました。

アルツハイマー病と告知

ずっと疲れのせいだろうと思っていた物忘れが次第にはげしくなってきました。平成13年、俊二さん54才の時に思い切って友人に相談をして、紹介してもらった病院を受診しました。
お医者さんから淡々と告知されたのは「アルツハイマー」という病気。今でこそ多くのメディアが取り上げていますが、当時は、この病気の言葉さえ知らない‥全くの無知でした。そのために「早期発見・早期治療」のレールにのれなかった。後悔が消えることはありませんでした。

※65才未満で発症する「若年性認知症」。厚生労働省によるとその数は公表されているだけで38,000人です。

社会とのつながり

認知症と診断されてから10ヶ月が経ち、ある病院の主治医から、デイサービスを利用するように勧めていただきました。そこの施設長さんが俊二さんの気持ちをゆっくり時間をかけて聞き取ってくださいました。若年性認知症の方は、自分を取り繕い、飾ろうとします。
そういう中で、話を聞いてもらえて「苦しかったこと、辛かったことを話して気持ちが楽になった」と俊二さんは言います。
デイに行き社会とつながることで明るくなった俊二さんの心模様がわかる詩です。
デイに行き社会とつながることで明るくなった俊二さんの心模様がわかる詩です。

国際会議でのカミングアウト

施設長さんが聞き取った俊二さんの気持ちを、平成16年6月、NHK主催の「ハートフォーラム」で発表したのをきっかけに、その4カ月後、京都で行われた「国際アルツハイマー病協会国際会議」に参加。大きな会場で壇上に立ち、4,000人を前に日本人として初めて、実名で自らの認知症体験を公にしたのでした。たくさんの方に受け入れられ共感して頂けたことは、夫婦にとって公にしてよかったと思えました。
平成17年には、NKHのドキュメンタリー番組で「ふたりの時を心に刻む」と題した私たちの生活が放映されたことにより、全国からたくさんの応援、励ましのお手紙をいただきました。
人の輪が広がり生きる力をもらいました。そして、若年性認知症をもっと多くの人に偏見なく理解してもらいたいという気持ちから、夫婦で講演活動をするようになりました。
観客席の様子
観客席の様子
講演会の様子
講演会の様子

混乱、そして家庭内徘徊、幻視・幻覚…

平成18年9月。デイサービスの施設をかわったことがきっかけで混乱がはじまりました。
家で夕食を食べ終わると、目つきがかわり別人のような表情になります。徘徊、幻覚・幻視も激しくなり、須美子さんは恐怖から車の中へ逃げ、落ち着いたころに家に入っていました。しかしあるとき俊二さんが「終わりたい。殺してくれ。」と大声で叫び出したことがあり、今まで見たことのない行動や言動に、病気の残酷さを身をもって感じました。

ショートステイ

夜中も振り回されることが多くなり、須美子さんの体重は6Kg以上も減り体調不良になってしまいます。精神的肉体的にも倒れる寸前。在宅介護に限界を感じました。
ショートステイを利用するようになりましたが、ショートに行く時には何かを察するのか車の中でスーッと涙を流す俊二さん。そんな時「連れて帰ろう」と思うのですが、家族の会の仲間から「そういうこともあるから、心を鬼にしてでも連れて行ったほうが本人も早く馴染める。」と言われていたので、心を鬼にして連れて行きました。しかし、俊二さんは施設の玄関を入り、職員の顔をみるとニコッと笑います。「この違いってなんだろう。自分の気持ちを介護者の前では表してないな。」と思いました。

新たな病気

平成20年4月に俊二さんが肺炎をおこし、10日間入院をしました。そんな中、『間質性肺炎』と『肺気腫』がみつかり、2つとも末期状態でした。
家にいてもよく熱を出すようになり、施設でのロングステイをとることにしました。誰だって在宅で介護してあげたい。でもそれができない現実があるのです。

施設への入所

家族は施設に入れることで罪悪感が出てきます。でも社会資源を使うことも必要です。家族は家族の役割を持ち、離れていても会いに行くことで優しい介護ができます。できれば在宅でと言われていますが、その家族にあった介護の仕方でいいと思うようになりました。

俊二さんの旅立ち

『あなたが認知症になったから。<br>あなたが認知症にならなかったら。』
『あなたが認知症になったから。
あなたが認知症にならなかったら。』
平成21年8月8日。62才で俊二さんは他界されました。
言葉では言い表せない16年間。32年間の結婚生活、その半分が病気との闘いでした。何も残してくれないと思っていたのが、社会に貢献して、たくさんの出会いという宝物を残し、家族の心を1つにしてくれました。
「同じ病気と闘っている人たちのために役立ってほしい」「娘たちにも何か残してあげたい」という想いで須美子さんが書いた本が出版されたのは、俊二さんが亡くなった1ヶ月後でした。

講師・越智須美子氏の想い

夫が病気になって、向き合えなかった自分がいたり、葛藤や怒りを味わってきました。80%は夫のために、残りは自分のために使うことも大切です。自分と言うものをしっかり持っていないと共倒れになってしまいます。
夫を介護している時は、「こんな気持ちで講演ができるのか」と思う時もありましたが、壇上に立ち、話すことで逆に皆さまから元気をもらうことができるのです。
介護家族は、病気の辛さ、社会資源があっても受け入れてもらえない現実、経済的にも余裕のない辛さ、三重苦も四重苦も苦しんでいます。そんな時、相談できる専門職との関わりは大切だと身にしみて体験しました。色々相談する所はありますが、本当に行き詰っている方は何を話していいかわからない、相談するための電話もかけられない人がたくさんいることもわかって頂きたい。
たとえ認知症になっても、その人その人の個性や生き方を尊重してあげてほしい。介護生活の柱は自然体で生活をすることだと思います。地域で安心して暮らしていくためにも、認知症を正しく理解して、偏見のない社会にしていくことが必要なのです。
今では良き理解者の娘たちにも「講演会も辞めて、普通のお母さんに戻って欲しい」と言わたことがあります。かなり悩みましたが、家族の会の友人に「人前で話す人は少ない。辞めないでほしい」と言われ、1人でも多くの人に理解してもらうことが私の役目だと思って、講演活動を続けています。

社会との壁

●俊二さんの初診は退職してからだったので、障害基礎年金しか受給できませんでした。働き盛りの柱を失う若年性認知症の家族の生活を支えるレベルの障害年金が支給できるようにしてほしい。
●体力や行動力がある若年性認知症の人は、施設での受け入れを断られることが多く、精神病院に入らざる得ない現実。若年性認知症の人が施設に入れることが当然のように受け入れをしてほしい。
●若年性認知症に対する十分な知識と介護技術を持った専門家を育成してほしい。
現在須美子さんは、自分がぶつかった社会との壁を取り除くべき活動も続けておられます。
講師の越智氏(中央)と交野市介護支援専門員協会、交野市社協の方々です。
講師の越智氏(中央)と交野市介護支援専門員協会、交野市社協の方々です。
私も出版された本を読み、講演会を聞くことで、1人でも多くの方に知ってもらいたいという思いから長文になったかもしれませんが、実際の16年間を語るには短すぎます。
講演会が終わってからは、越智先生と直接お話しをさせていただきました。控室におられた越智先生も、主催された専門職の皆さんもとっても気さくに呼んでくださり、しかも越智先生の隣に座らせてもらいました。(実はネネは想像もしていなかったので、すごい緊張です!)終わって4階から階段を下りて帰ったのですが、いくら探しても出口がない!行き慣れたゆうゆうセンターなのに!?冷静に考えると、ネネはまだ2階をウロウロしていたのでした(^^;) 越智先生と身近でお会いできた嬉しさと緊張から、気持ちが舞い上がっていたのです。
若年性認知症は誰がなってもおかしくないですし、自分がなるかもしれない。越智先生も専門職との関わりの大切さを言われていましたが、主催された交野市介護支援専門員協会には、認知症ケアに対する優れた学識と高度な技術を持った『認知症ケア専門士』の方もおられます。専門職とのつながりを持ち、地域や家族と支え合うことで、病気になっても安心して暮らせる社会をつくるために、1人ひとりが若年性認知症に対して正しい知識を持ち、理解することの大切さを痛感しました。
主催:交野市介護支援専門員協会 さま → 詳しくはこちらをクリック