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ええやん! 交野

歴史民俗資料展示室・企画展示「七夕伝説と星の信仰」2011/07/29

織姫ねっと市民リポーターがお届けする交野市のイ・ベ・ン・ト!

こんにちは。織姫ねっと市民リポーターのネネです。倉冶にある歴史民俗資料展示室では、8月14日(日)まで「七夕伝説と星の信仰」の企画展示が資料やパネルを交えてわかりやすく解説されています。中国で七夕伝説が起源してから、どのように日本へ伝来したか、そして、交野が「織姫の里」と言われ七夕伝説ゆかりの地であるということが取材を通して理解することができました。
また、この企画展示の期間にあわせて機織りの実演もされています。

茄子作遺跡

「高機」の部品
「高機」の部品
第二京阪道が建設される時に発掘された、「高機」の一部である可能性がある部品です。
「高機」は奈良時代に日本に入ってきたと言われていましたが、古墳時代の層から発掘されたため、もっと古くからのものであったことがわかります。もし「高機」の部品なら、おそらく日本にある「高機」の中では一番古いのではないかと言われています。
そして、茄子作は交野郡の一帯になりますので、やはりこの辺りは織物にゆかりのある地であるということも後付けられます。

日本への伝来「乞巧奠(きっこうでん)」

「乞巧奠」のお供え
「乞巧奠」のお供え
七夕は中国が発祥の地であることはよく知られています。
その中国大陸からの渡来人が日本の朝廷に伝えた七夕の儀式は、「乞巧奠」と言われるものでした。
「乞巧奠」とは、うまくなること、乞い願う儀式という意味です。
何をうまくなりたいか‥というと、暑さ寒さをしのぐためにも、着物を上手に織れるということは女性にとってとても大切なことでしたので、「機織りで上手に着物を織れますように」と、この儀式で織物の神様である織姫様に祈ります。
自分たちで機織りをする必要のなかった日本の宮中では、「琴や琵琶などの芸が上手になれますように」という風に変わっていきましたが、この「乞巧奠」の儀式は、現在でも京都の公家である「冷泉(れいぜい)家」にて、旧暦の七夕にあわせて執り行われています。

金丸又左衛門役地絵図(元禄6年1693)

河内国の幕府の代官であった金丸又左衛門が、自分が治める領地を描いた絵図で、名所・旧跡といわれるところが示されています。
注目するところは、倉冶の横に描かれている「織女」。これは現在の「機物神社」の位置にあたることから、江戸時代初期から倉冶の機物神社は「織姫の里」であったことがわかります。

江戸時代中期以降に、寺子屋のおっしょさんが子ども達に短冊に願い事を書かせたことが、今のような七夕の形になった始まりと言われています。
庶民の間で七夕祭が一般化して広がりをみせたのも江戸時代後期からですので、民間におりてくるもっと前から、交野が織姫にゆかりのある地であったということが証明されているものです。

星田の妙見山と言われる「小松神社」

「太上神仙鎮宅霊符神」
「太上神仙鎮宅霊符神」
「太上神仙鎮宅霊符神」は中国の道教の神様ですが、仏教になると妙見大菩薩と言われます。
この妙見大菩薩は北極星を指します。北で動かない星として、尊く全ての基本となるものです。妙見大菩薩のお姿は多種多様ですが、女の人の形をした像が星に関連して織姫の形になり、ご神体の大岩は「織女石」とも言われるようになりました。
平安時代、星田には天から七曜の星(北斗七星)が3か所にわかれて降臨した(八丁三所)伝説がありますが、その1つが妙見宮のご神体である「織女石」です。
七夕がどのように伝来してきたか、そして庶民に一般化するより以前から、交野が織姫にゆかりのある地であったということが理解できました。交野にある数々の七夕伝説を知ることで興味も深まり、交野で行われている盛大な七夕まつりも今までとは違った楽しみ方ができるような気がします。

河内木綿 機織り実演

毎週水曜、金曜に2階で機織りをされている機織り教室の方々が、今回の企画展示期間中は1階で河内木綿の機織りの実演をされています。
綿花の栽培から機を織るまでの工程は、全て昔ながらのままで再現しておられます。
織機は下機(しもばた)と呼ばれるもので、織り手は経糸(たていと)を腰のベルトで引っ張りながら、足を曲げ伸ばしすることで経糸を交互させ、手もとで緯糸を入れていきます。全身を使って細かい作業をしておられる熟練の技です。
実際に使われている下機は、古くに交野市でバラバラの状態で見つかった下機を復元したものです。
5月初旬に種をまき、樹高は80~100cmになります。黄色い花が開花後、綿毛に覆われた種子(コットンボール)が9月末から10月に収穫できます。
綿花と種を分ける道具
綿花と種を分ける道具
摘み取られた綿花を種と綿毛に分ける道具です。
綿花を入れて取っ手をまわすと、綿毛から種がきれいにとれます。
綿打ちの工程
綿打ちの工程
綿打ちの工程です。
弓を使い、綿に空気が均等に入っていくようにしてから、じんきと言われる筒状の1つのかたまりに仕上げます。
糸車を体験中です。
糸車を体験中です。
糸車を使って、糸を紡いでいきます。
右手で糸車を回しながら、左手で綿を軽く持って伸ばしていき、ヨリをかけて丈夫な糸になるようにします。
ここで丈夫な糸に紡いでいないと、機織りの工程で糸が切れてしまいます。
ネネは糸車を体験させていただきました。手に力が入って糸が切れてしまったり、何度やっても失敗ばかり…見るとやるとでは大違いでした…
ヨリが戻らないようによりどめをして、精錬で油などを落とし、天然染料での染色をします。後に続く数々の工程も全て手作業です。私たちがイメージする織り機で布を織っていくというのは最終段階で、それまでの工程が9割を占めるといってもいいのではないでしょうか。織物が仕上がるまでに、これほどの工程を全て手作業でされていることに驚きました。(昔のままで再現をしているのは、全国的にも例は少ないそうです。)手間をかけて物を大切にする。その精神を忘れてはいけないと思いました。
来年の3月には作品展を開催されるそうで、丹精込めた作品が見れるのが今からとても楽しみです。

花が咲きますように

綿花の種を頂いて帰りました。一晩で根が出てくると言われた通り、写真のように根が出てきたのでポットに植え換えます。今の時期からだと、綿はできないそうですが、花は咲かせてくれるとのことなので、頑張って育てますね(^^)
取材ご協力:交野市教育文化会館