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ええやん! 交野

「青年海外協力隊」の説明会が開催!2011/10/31

取材: 市民リポーター ネネ

こんにちは。織姫ねっと市民リポーターのネネです。10月23日(日)、交野発国際親善の輪の主催で、JICAボランティア事業のひとつでもある「青年海外協力隊」の説明会が開催されました。さまざまな問題を抱える開発途上国と、日本を結ぶ架け橋となるJICA(ジャイカ)。途上国の未来のために、熱意を持った多くの隊員が知識と経験を活かして活躍されています。私も含め、1人でも多くの方に興味を持っていただきたいという思いで取材をしてきました。
「交野発国際親善の輪」会長:長谷川氏
「交野発国際親善の輪」会長:長谷川氏
一主催:「交野発国際親善の輪」(通称:KIC)一
交野市に住む在日外国人の方々に、各国の文化や料理・踊りなどを教えていただき、国際理解と交流を深めていく活動を行っています。
(交野市のボランティアセンターにて、毎月第3日曜日14~16時)
今回は10月度の例会として、JICAのボランティア事業でもある「青年海外協力隊」の説明会が行われました。
司会進行役の「交野発国際親善の輪」:香川氏
交野市役所の職員でもあり、青年海外協力隊ではアフリカで活躍されていました。「交野で、JICAボランティアのことを知っていただけた方が、いつか思い出して協力してくだされば嬉しいです。」
一国際協力機構(JICA)のボランティア事業について一
青年海外協力協会の高田氏より、JICAボランティア事業についての説明をしていただきました。
JICAボランティア事業には、「青年海外協力隊」、「シニア海外ボランティア」、「日系社会青年ボランティア」、「日系社会シニア・ボランティア」があります。他にも長期ボランティアと短期ボランティアに分かれています。
(今回は時間の都合上、主に「青年海外協力隊」についての説明です。)
青年海外協力隊が最初に派遣されてから今年で47年目という、長い歴史を持っています。
その間に世界88カ国で36,363名が、現在でも75カ国で2,603名の方が活動しておられます。

概要
アジア・アフリカ・中南米などの開発途上国のために技術や経験を活かしたいという方を、各国の要請に応じて派遣をしています。

応募できる年齢
青年海外協力隊は20~39才。
シニア海外ボランティアは40~69才です。

応募から派遣まで
1、応募書類を記入
募集は毎年2回、春と秋に行われます。
受入国側の要請内容から、自分の経験や知識にあった要請を探します。
サイトをご覧いただける方は、「JICAボランティア」で検索し、HPの【要請を探す】から見ることができます。要請の活動分野も幅広く多岐にわたっているので、特に技術を持っていなくても応募することができます。

2、選考
一次(書類)選考と二次選考があり、合否が決定します。

3、合格から派遣まで
選考に合格した場合、派遣前訓練が行われます。特にコミュニケーション手段としての語学力の強化に長く時間をとっており170時間受講します。その他、受入国についての講座や地域活動などの実習があります。
長期ボランティアの場合、派遣される時期によって1次隊から4次隊に分かれています。派遣期間は原則2年間です。

支援制度について
事業を実施する上で健康管理と安全対策は特に重視しています。
派遣を行っている国にはJICAの在外事務所があり、安全対策に関しては、情報提供や住居の防犯対策、通信連絡手段の確保などを支援。健康管理に関しては、在外健康管理員や現地顧問医による支援、緊急時には医療体制が整った国や都市への緊急移送など、心身ともに健康な状態で活動できるよう様々な側面からの支援を行っています。

帰国後の進路
進路情報や、各種研修、進路相談カウンセリングなど、経験を活かした帰国後の進路開拓を支援しています。
一元隊員による活動体験の声一
采女氏(派遣先:ネパール、分野:青少年活動)
21年度1次隊の派遣で、今年7月に帰国されたばかりです。
ネパールは、ヒマラヤ山脈やエベレストで有名ですが、首都と田舎では貧富の差が広がっており、田舎になると教育が行き届いておらず、2人に1人は読み書きが出来ないといわれています。
ネパールでの活動を映像にして発表してくださいました。
采女さんの活動拠点は、中心部にほど近い「バルマンディール孤児院」。そこで生活をする0~18才、約200人の子ども達に情操教育を行うのが菜女さんの役目でした。親も身よりもいない子ども達。全ての子を愛し、全ての子に分け隔てなく愛情を注ぐことをモットーに仕事をしておられます。毎日が全力投球で、子ども達に真正面から向き合う姿が映像からも伝わってきました。
苦労したことは、孤児院に来てからの半年間、一切口を聞いてくれない子がいたこと。しかし、ある日を境に急に心を開いてくれました。
一番嬉しかったことは、障がいがあり、一生歩けないと言われていた子が、1年ほど経ったときに歩けるようになったことです。
ネパールでは、水・電気がなく、ひどい時は2週間も断水をしている状態です。生活が困難だからこそ、皆で助け合い、思いやる気持ちが生まれます。そこで人の心の温かさを学ぶことができました。
光家氏(派遣先:ソロモン諸島、分野:看護師)
看護師を続けていく上で、もっと自分の力が役にたてるところで仕事をしてみたいと思ったことがきっかけでした。
派遣されたのは田舎の診療所で、お医者さんはいません。ライフラインも整っていないところで、日本だと医師が行うような行為(傷を縫う、診断・薬の処方など)も引き受けていました。助産師もいません。とりあげた赤ちゃんの母親からは、「名前をもらってもいいか」と聞かれ、光家さんの名前が名付けられたそうです。
派遣期間は半年延長して2年半。1年半を過ぎた後半からは、衛生的な基礎知識が不足していて、小さな我が子を亡くしてしまうという母親のために、パンフレットを作成し、健康意識を広める活動をしていました。
光家氏のご主人は、家畜飼育の担当で協力隊へ参加をしておられました。帰国後も活動を続けておられます。ご夫妻が協力隊の体験者ということで、とても素晴らしいパートナーですね。
丸田氏(派遣先:南米パラグアイ、分野:音楽教師)
現地の小学校では、もともと音楽や図工の先生がおらず、実技関係ではおくれがありました。音楽の授業もなかったため、音楽の時間をとって頂くことから始まり、指導を行いました。同時に先生向けの講習会も行っていました。
パラグアイでは水に困ることはなく、食生活にも恵まれていました。ハーブティーが有名なので、体調を崩した時には、現地の方がハーブを調合してくれたり、郵便局でトラブルにあった時にもすぐに駆けつけてくれたり、人の温もりにとても助けられたそうです。
アルパの生演奏
アルパとは‥パラグアイの民族楽器でスペイン語でハープのこと。木製のボディに35~38本のナイロン弦が張られた半音のない楽器です。
丸田氏がパラグアイで出会った楽器が「アルパ」です。帰国後も日本の皆様にパラグアイのことを知っていただきたいと想いから、いつしか本格的に演奏をするようになりました。今ではプロとして各地での演奏活動をメインに、交野市私市のサロンでレッスンもされています。
パラグアイでポピュラーな曲「到着」という、とても軽快なリズムの曲から始まり全5曲。日本の叙情歌「故郷」や、パラグアイのことを想ってつくられたオリジナル曲では、音色が切なく響いて涙ぐみました。もちろん皆さんも聞き入っておられ、私自身これほど心に響く演奏を聴いたことがあったかと感動しました。アルパの柔らかい音色を聴いていると、心が洗われたように綺麗になりますよ。
人生の中での2年間。協力隊の皆さんはこの2年間で日本では経験できないことを無限大に学び、得ておられます。言葉も文化も違う環境でありながら「一番人間らしく過ごせた。」と言われていました。人と人との絆の深さや温もりを経験されたからこそですね。帰国後は、自分の進むべき道が明確になり、実現に向かって歩み始める方もおられます。
今回の取材では、とても学ぶことが多く、今まで知らなかった世界に興味を持つことができました。
元協力隊の方々の体験談を聞いていたら、自分の行動や思考がどれだけ狭いかわかり、私自身がもっと広い視野を持つと同時に、我が子にも外の世界に向かって挑戦していく精神を伝えていけたらいいなと思いました。